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SPECIAL STORY

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Vol.3

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2022年03月15日

生涯、『あって良かった』バラを届け続ける 株式会社アサオカローズ 取締役 浅岡 正玄さん

八ヶ岳山麓から、無農薬栽培した最高品質のバラと、農園のすぐ側から出る湧水を使ったローズウォーターをお届けされているバラ農家がある。70年代から激動の時代を、バラと共に過ごしてきた浅岡正玄(あさおか・まさはる)さんの歴史を伺った。  

【アメリカで学んだ、青春時代】 

浅岡さんは元々、愛知県西尾市の出身。農家の長男だったため、農家になることがある意味「当たり前」だったそうだ。中学校を卒業した際、父親から農家を継ぐのを条件に好きなことをやっていいと言われていたので、名古屋市の守山区にある学校法人名古屋国際学園へ通った。その後はアメリカに渡って学びたいと考えていたという。 

すぐ大学に行くのではなく、アメリカの家庭生活も知りたいと考えた。そこで、ロータリークラブの交換留学制度を活用し、ミシガン州ポートヒューロンへ1年間渡り、アメリカの様々な大学を現地で探した。そして、最終的に入学を決めたのは、園芸も盛んだったミシガン州立大学だった。4年間大学で学び続け、若き日の浅岡さんは早く自分の力を試したいとウズウズしていたという。大学在学時から就職の話もあったが、それらを断り、実家のバラ園を継ぐために日本へ帰国した。  

【激動の時代、銀座への出店】 

西尾で跡を継いでから3、4年が経過した頃だった。江蘇省と愛知県が姉妹提携をすることになり、名古屋市と南京市が姉妹都市になった関係で、2年ほど江蘇省の人たちの見学や、農業研修生も受け入れていた。浅岡さん自身も中国に15回ほどは渡航したそうだ。 

変わりゆく時代の中で、浅岡さん自身も家族を持ち、バラ農家としてもさらなる発展を目指すなかで、ひとつの決断を下す。丹精を込めて作ったバラに対して、「いつまでも人に値段をつけられていてはいけない、自分で値段をつけたものをいかに多くの人に届けられるか」と考え始めたのである。それまでは生花の輸送など出来なかったが、折よく佐藤郵政大臣(当時)のもと、郵便局で生花をゆうパックで運べるようになったため、郵送での販売を始めた。 

次に、自身でショップも運営するようになった。浅岡さんの夫人を中心に、ブライダルのチームや、フラワーデザイナーのチームも発足された。ホテルや結婚式場でも売り出すことになり、自分たちで価格を決めて販売できるという手応えが得られた。さらなる取り組みとして、東京にも出店することになった。東京へ店を出した途端に、大手航空会社の機内誌などや大手メディアから取り上げられた。それによって、新たな繋がりも生まれていった。 

非常に順調だったものの、西尾と東京の往復は体力的にも辛かった。また、都市開発計画に基づく道路工事のため、西尾の農園を移転しなければならなかったこともあり、いよいよ移転先について具体的に検討せざるを得なくなった。 

【西尾との別れ、八ヶ岳との出会い】 

当時、様々な移転先を検討していた。東京へ進出したことで、それがかなり大きなヒントになっていたという。八ヶ岳は雪が少なくて、日照条件も良い。さらには、東京への交通アクセスも悪くない。この日本が誇る山麓は、バラにとっても、東京へ店を構える浅岡さんにとっても、好条件だったのだ。また、ハウスを貸してくださるという地主の方と出会えたことも大きな要因だったそう。 

こうして、移転した八ヶ岳のバラ園には多くの人々が鑑賞に来た。浅岡さんが丹精込めて作ったバラは、多くの人に喜ばれ、また新たな縁を呼び込むことになる。その中で、驚きの相談を受ける。 

『ミチコ様のお誕生日にバラを献上して欲しい』。  

このミチコ様とは、当時の皇后美智子様のことである。 

【皇室との繋がりと、誇り】 

献上するバラの名は、『プリンセスミチコ』。イギリス王室から、日英友好の証として、美智子様へギフトとして贈られたバラだった。浅岡さんのバラ農園でも、1970年代から生産を始めていた。最初は畏れ多いと思ったものの、このような機会は幾度もあるものではない。浅岡さんは、美智子様のお誕生日に『プリンセスミチコ』を献上、その席に列席された。翌年もまたお誕生日にバラを献上した時、天皇陛下(現在の上皇陛下)が「八ヶ岳のプリンセスミチコはすごくいい薔薇だ」と話された。浅岡さんが元気づけられ、バラ農家としての自信を深めた瞬間だった。それからも毎年美智子様のお誕生日にはバラを献上し続けている。 

【バラ農家としての更なる挑戦】 

激動の時代を、バラ農家として過ごされた浅岡さん。常に広い視野を持ち、新たな挑戦に取り組まれている。その代表的なものが八ヶ岳の湧水で生産するローズウォーターだ。元来、鑑賞用であったバラというものの概念を覆すもので、バラの花びらを水蒸気蒸留して作られる。体にも良く、まだ研究途上ではあるものの、バラの香りとその花にはガン細胞を小さくするほどの効果が見込まれるという。さらにはノンアルコールジンなども販売している。 

今、バラ農家は大きな岐路に立っている。コロナウイルスの影響で、もっともバラが使われる冠婚葬祭が大幅に減ってしまったからだ。けれど、浅岡さんは常にバラと共に生きる。『あって良かった』と思われるバラを、人々に届け続けていく。

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投稿日時:2022年03月15日 / 最終更新日時:2022年03月18日

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