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まちのひとインタビュー

インタビュー記事

Vol.4

特別取材

2022年03月15日

これからも縄文を愛し、看取り続ける。井戸尻の守り人 井戸尻考古館館長 小松 隆史さん

井戸尻考古館の館長でもあり縄文文化の名物解説者である小松隆史さん。語り口も非常にテンポが軽快で、何よりも小松館長は縄文や歴史への、幼少期から変わらぬ思いに、聞き手はつい引き込まれてしまう。今回は、小松さんから、現在のお仕事に対する思いを伺った。

【縄文時代と共に歩んだ、小松館長】

小松さんは、諏訪湖のほとりにある岡谷市出身。中学高校の多感な時期を岡谷市の自然に囲まれて過ごし、金沢市の大学に通った。それからは井戸尻考古館の職員として、そのまま20年来のキャリアを過ごした。館長になったのは、平成30年4月のことである。井戸尻考古館は、主に縄文時代の品が展示されており、すなわち小松さんのあゆみは縄文とともにあった。

なぜ小松さんは、それほどまでに縄文時代に魅せられたのだろう。そのルーツは、幼少期に過ごした岡谷市にあった。この土地は、縄文時代の遺跡があり、土器拾いが子供達の遊びとなっていたのだ。そして、井戸尻考古館も当時から憧れの場所であった。そうした幼少期の原体験から、大人になっても当時の思い変わらず現在に至っているのである。

【井戸尻考古館館長として】

小松館長は、立場上は富士見町の職員であり、現職から、今でも異動は一度もしていない。役所の職員であれば、異動などもあるものだが、発掘調査ができる職員はかなり限られている。いわば、研究者のような立ち位置での採用だったので、井戸尻考古館でのキャリアを積み重ねているのだ。そのキャリアの中で大切にしている小松さんのポリシーについて、「自分が縄文人に近づいていく」と語る。発掘をしているなかで、土器も作れば、石器も作る。言うなれば体験するというイメージに近いそうだ。実際に縄文時代に思いを馳せ、土器を用いてみると、机の前で座って資料と向き合っているだけでは分からない情報を無数に教えてくれるという。その感覚が好きで、今でも館長としての業務よりも、現場のほうが好きだと語る。縄文時代は誰も答えを教えてくれない。縄文人の事実に近づいていくかを試行錯誤し、答えなき答えを探すというプロセスが合っているとも感じている。

そんな現場を今でもこよなく愛する小松館長の業務は、実に多岐にわたる。研究、保管といった文化財を扱う仕事(発掘調査はここに含まれる)。いろんな場所に行って、富士見町の遺跡などを紹介するなど対外的な業務にも取り組まれている。活動はそれだけに留まらず、最近はYouTubeもやっている。

【井戸尻考古館館長としての大切な役割】

富士見町は、縄文のものがほとんどだ。あとのものはほとんど存在せず、少しだけ平安時代の品があるという。歴史を揺るがすような大きな発見がされることはほとんどない。小さな発見をどのくらい歴史の中で位置付けられるのかがとても大事な役割だと語る。また、歴史好きな人は、井戸尻考古館のことを知っているが、富士見町を知らないこともある。一般の方達に縄文のことをどれくらい知っていただけるかが大事なミッションとのことだ。

普及活動の中でもとりわけ大きなプロジェクトが、「蘇る高原の縄文国」という講演録集に記録されている。2002年島内遺跡の出土品が、199点国の重要文化財に指定されたのを記念したイベントを多数行っていた。その中で、「スタジオジブリ」でお馴染みの宮崎駿氏、人類学者の中沢新一氏といった方が講演をされた内容が収録されている。収穫祭も、2002年がひとつの契機になって始まっている。この収穫祭は、小松さん自身もとても楽しみにしており、身も心も縄文人になる瞬間とのことである。

【次代へ継ぐために伝えたいこと】

普及活動はもちろんのこと、現在の井戸尻考古館そのものも次の世代へ引き継ぐために、まだまだやらなければならないことがある。それは、井戸尻の文化を次の世代へ引き継ぐことだ。今、井戸尻考古館は富士見町教育委員会の所有物になっているが、昭和33年に「井戸尻保存会」によって建てられたものである。「おらあとうの村の歴史は、おらあとうの手で明らかに・・・。」を合言葉に、 地元の人たちの手によって受け継がれてきた井戸尻考古館。すでに半世紀以上も経過しており、疲れてきている。国の重要文化財が200点を守る場所としては、時代にそぐわなくなってきている。次の世代へ引き継ぐためには、この建物自体もどうにか新しくしなくてはならない。

また、建物だけではない。井戸尻文化館館長として、小松館長は次の井戸尻を担う人々へ伝えたいことがある。

発掘作業はとても素晴らしい作業だ。5000年前に使われていたものが、長い時を経て、日の光を浴びる。縄文時代の発掘を行うということは、そこまで掘り下げていく。そこから見上げる空というのは、縄文人が立っていた地、そしてそこから見上げる空というのは縄文人が見ていたものと同じ景色。それができるのは、発掘した人にしか感じられない。一番好きな時間でもある。何物にも変えがたい時間である。その瞬間そのものがかけがえのない芸術でもある。

しかし、一方で発掘調査は、破壊でもある。一度、掘ったら、二度と元には戻らない。遺跡の発掘をするということは、遺跡を壊すことであり、遺跡の最期を看取る仕事である。その役割の重さを、後進のスタッフたちにも伝えていかなければならない。自分の知識や経験が足りなければ、適切な形で世に残すことができず、歴史の中に埋もれさせてしまうことになる。その責任感と覚悟をもって仕事をすることが大切なのだ。

【悠久の歴史に抱かれる、富士見町】

富士見町は、縄文時代の多くの遺物が眠っている本当に魅力ある町だ。けれど、まだ井戸尻考古館の存在は知っていても、富士見町のことを知らない人は多く、どちらの存在もこれから多くの人に知ってもらい、人に住んでもらいたいと小松さんは願っている。

一方で、町にはそこかしこに遺跡が眠っている。遺跡の上に家を建ててしまうと、その遺跡は壊れてしまうことになる。小松さんの願いは、縄文の遺跡を大切にすることで、その遺跡に魅力を感じた人が移住してくれて、町に活気が宿る。そんな共存の在り方こそ、最も「おらあとう」らしい富士見町なのではないか。

井戸尻考古館はこれからも縄文時代の魅力を伝え続けていく。現代を生きる縄文人小松さんの奮闘はまだまだこれからである。

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投稿日時:2022年03月15日 / 最終更新日時:2022年03月18日

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